元プロレスラーで、現在は石川県知事として活躍中の馳浩さん。
そんな馳浩さんは、一体どんな方なのか気になりました。
経歴や学歴など詳しく知りたいです。
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめていきます。
【石川県知事】馳浩のwikiプロフィール
名前:馳浩(はせひろし)
生年月日:1961年5月5日
年齢:62歳(2024年2月時点)
出身地:富山県
職業:政治家(石川県知事)
所属政党:自由民主党
【石川県知事】馳浩の学歴
馳浩さんの学歴は、以下の通りです。
高校:星稜高等学校
大学:専修大学文学部国文学科
では、1つずつ見ていきましょう。
馳浩の出身高校:星稜高等学校
馳浩さんは、地元の中学校卒業後、
星稜高等学校(偏差値:55~67)
に進学しました。
この高校は、スポーツ選手を多数輩出する、スポーツ強豪校です。
・本田圭佑
・豊田陽平
・奥川恭伸
・岩下大輝
・松井秀喜
高校に進学した馳さんは、相撲を続けたかったそうですが、星稜高等学校には相撲部はありませんでした。
そこで、小学校時代に経験したことがある剣道部に入部をしようと思っていたそうです。
ですが、レスリング部の先輩に勧誘されたことをきっかけに、レスリング部に入部しました。
すつろ、馳さんは才能を開花させ、高校3年生の時には国体で優勝を果たしました。
馳浩の出身大学:専修大学文学部国文学学科
星稜高等学校を卒業した馳さんは、
専修大学(偏差値47.5~60)
に進学しました。
高校時代に国体優勝を果たしている馳さんは、大学時代は、レスリング部の主将を務め、活躍しました。
レスリングに励む一方で、国語の教員免許も取得しました。
【石川県知事】馳浩の経歴
- 1984年 4月~1985年 8月:星稜高校国語科教諭
- 1984年8月:ロス五輪レスリンググレコローマン90kg 出場
- 1985年~2006年:プロレスラー
- 1995年 7月~2000年 5月:参議院議員石川県選挙区 初当選
- 2000年 6月:衆議院議員選挙 石川一区より出馬 当選
- 2002年10月~2003年 9月:自由民主党 厚生労働専任部会長
- 2003年 9月~2004年 9月:文部科学大臣政務官
- 2003年11月:衆議院議員選挙 比例区北陸信越ブロック 当選
- 2004年 9月~2005年 9月:自由民主党 国会対策副委員長
- 2005年 4月~2007年 6月:自由民主党 石川県連会長
- 2005年 9月:衆議院議員選挙 石川一区より出馬 当選
- 2005年11月~2006年 9月:文部科学副大臣
- 2006年 9月~2007年 8月:自由民主党 国会対策副委員長
- 2007年 8月~2008年 8月:自由民主党 副幹事長
- 2008年 8月~2009年10月:自由民主党 文部科学部会長
- 2009年 8月:衆議院議員選挙 比例区北陸信越ブロック 当選
- 2009年10月~2010年 9月:自由民主党 石川県連会長
- 2010年 9月~:自由民主党 国会対策副委員長
- 2012年12月:衆議院議員選挙 石川一区より出馬 当選
- 2012年12月~2013年3月:予算委員会筆頭理事
- 2013年3月~2013年10月:2020年オリンピック・パラリンピック東京招致推進本部 本部長
- 2013年8月~2015年6月:自由民主党 石川県連会長
- 2013年10月~2014年9月:2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部 本部長
- 2014年9月~2015年10月:自由民主党 広報本部長
- 2014年12月:衆議院議員選挙 石川一区より出馬 当選
- 2015年10月~2016年8月:文部科学大臣 教育再生担当大臣
- 2017年4月~2018年4月:自由民主党 石川県連会長
- 2017年8月~:自由民主党 教育再生実行本部長
- 2017年10月:衆議院議員選挙 石川一区より出馬 当選
- 2020年11月:専修大学レスリング部名誉監督に就任
- 2021年10月:衆議院議員 任期満了で退任
- 2022年3月:石川県知事選挙に初当選
- 2022年9月:日本維新の会顧問に就任(所属は自民党のまま)
馳浩さんの経歴を見ると、一目で凄さが分かりますよね。
政治家としての活躍も素晴らしいですが、国語科の教員やオリンピックに出場した経歴もあり、文武両道な方なんですね~
では、詳しく見ていきましょう!
馳浩さんは、農家(川辺家)の3男として生まれ、小学3年生の時に、石川県金沢市の親族のリンゴ農家(馳家)に養子に入ります。
馳浩さんは、専修大学文学部国文学科を卒業後、母校の星稜高等学校で、
国語科教員
として働いていました。
1984年、アマチュアレスリング選手として、
ロサンゼルスオリンピックに出場
しました。
この時は、高校教諭も務めながらのオリンピック出場でした。
そして、1985年には、ジャパンプロレスに入門し、1987年に新日本プロレスに移籍、1996年に全日本プロレスに移籍しました。
プロレス界に入って10年間で、ファンの記憶に残る名勝負を生み出していました。
1995年には、参議院議員選挙に石川県選挙区から出馬し、初当選しました。
その後は、プロレスラー兼政治家として地道な活動を続け、2006年8月27日に、両国国技館で引退試合を行い、プロレスターを引退しました。
プロレスラーを引退後は、文部科学大臣などを経験し、2022年3月13日には、見事石川県知事選挙で初当選しました。
文武両道を突き進んだ馳さんは、今後も石川県知事としてご活躍されることでしょう。
まとめ
今回の記事は、
・馳浩のwikiプロフィール
・馳浩の学歴
・馳浩の経歴
こちらの内容でまとめました。
馳浩さんの経歴には驚きましたね。
教員の仕事をしながらのオリンピック出場や、プロレスラーをしながらの政治活動と、本当に器用にこなされていますよね。
今後も石川県知事として、全力で活動されるのではないでしょうか?
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