【2024最新】町田瑠唯の年収や年俸は?スポンサーなど5つの収入源を調査!

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女子バスケットボール日本代表・町田瑠唯選手。

小柄ながらもポイントガードとしての実力派ピカイチ。

常にレギュラーメンバーとして試合に出場している町田瑠唯選手ですが、実はバスケットボール以外でも活躍している場所があるそうです。

そうなると、どのくらい稼いでいるのか、気になってきますよね!

そこで今回の記事は、

・町田瑠唯の年収は?
・町田瑠唯の5つの収入源は?

こちらの内容でまとめていきます。

目次

【2024最新】町田瑠唯の年収や年俸は?

まず初めに、町田瑠唯選手の年収を見ていきましょう!

町田瑠唯選手の年収は、

1,000万円以上

と推定されます。

現場の収入などについて調査している「JOBQ TOWN」によると、

女子バスケ実業団の年俸は、約500万円〜700万円

と言われています。

日本の女子バスケットボール界には、男子バスケットボール界のようなプロリーグがありません。

女子の「プロバスケ選手」という概念は現時点ではないということです。

そのため実業団チームは、

運営している企業の社員として給与をもらっている

ということになります。

町田選手選手の場合は、「富士通レッドウェーブ」を運営している富士通から支払われています。

町田瑠唯選手と同年代の富士通の正社員の年収は約600万円であり、町田瑠唯選手も同じくらいの年収だと予想されます。

そして、町田瑠唯選手の収入源は所属チームからの給与のみではなく、スポンサー企業からの契約金やご自身で立ち上げたブランドの収益などもあります。

それらを含めると、「年収は1,000万円以上」と推定されているのでしょう。

町田瑠唯のスポンサーなど5つの収入源を調査!

こちらでは町田瑠唯選手の5つの収入源についてみていきたいと思います。

町田瑠唯選手の主な収入源は以下の5つとされています↓

町田瑠唯の収入源

① 所属チームからの給与
② スポンサー企業の契約料
③ 大会での報奨金
④ メディア出演料
⑤ 自身の経営している会社の収益

町田瑠唯選手は所属しているチームからの給与だけでなく、メディア出演やご自身で会社の経営をしています。

そこからの収益も発生しているようです。

それではここからは町田瑠唯選手の収入源を一つずつ見ていきましょう。

町田瑠唯の収入源①:所属チームからの給与

こちらは言わずもがなですが、競技をするにあたって、選手として所属している企業から給与をもらっています。

こちらが安定した収入軸の1つとなっていることでしょう。

町田瑠唯選手の場合は、「富士通レッドウェーブ」から給与を支払ってもらっている、ということになります。

町田瑠唯の収入源②:スポンサー企業からの契約料

町田瑠唯選手は現在3社とスポンサー契約を結んでいます。

町田瑠唯のスポンサー企業

① Rakuten Sports
【大手通販サイトの「楽天市場」などを運営している楽天グループ株式会社のスポーツ部門】
② 八光エルアール株式会社

【高級車としておなじみのランドローバーのディーラー】
③サン・クロレア

【「クロレッツ」などの人気商品を販売している】

この3社は、町田瑠唯選手をサポート・支援活動をしています。

通常、スポンサー企業との契約金は、1社あたり

数百万から数千万と様々ですが、3,000万が1つの指標

とされています。

町田瑠唯選手のスポンサー契約料については公開されていませんので、詳細は不明です。

しかし、町田瑠唯選手の場合は、国内外で活躍しているだけでなく、オリンピックにも出場し、好成績を収め続けているメンバーのひとりです。

そのため、1,000万円以上のスポンサー契約料を貰っている可能性が高そうですね!

町田瑠唯のスポンサー企業①:Rakuten Sports

町田瑠唯選手と「Rakuten Sports」は、マネジメント契約を結んでいます。

きっかけは、

町田瑠唯選手が2022年2月には、WNBAの「ワシントン・ミスティクス」と契約したこと

でした。

Rakuten Sportsの事業の目的は、

国内外におけるスポンサーシップを活用しブランド構築を通じたキャリアの支援を実施」

ということです。

まさに町田瑠唯選手の国内外でのバスケ選手としての活動が該当することになります。

ちなみに、この「Rakuten Sports」は男子バスケットボール日本代表の河村勇輝選手のも支援している企業となっています。

町田瑠唯のスポンサー企業②:八光エルアール株式会社

町田瑠唯選手と八光エルアール株式会社は、2024年6月に「ランドローバー・ディーラー・アンバサダー契約」を結んでいます。

正規ディーラーとして数々の高級車を販売している傍らで起業家・実業家を支援している八光エルアール株式会社。

町田瑠唯選手のバスケでの活躍のみならず、

実業家として「株式会社Rui」を立ち上げたことによるビジネス界の参入に「COLOR OUR LIFE(人生に彩りを)」のパーパスが共通する

と考えサポートを開始したそうです。

なんと、町田瑠唯選手は実業家としての挑戦もされているようですね!

町田瑠唯のスポンサー企業③:サン・クロレア

サン・クロレアには、2023年2月に「Team Sun Chlorella」のメンバーとして加入し「コンディショニング契約」を結んでいます。

サン・クロレアの販売している商品を通じて、コンディションサポートをメインに行なってるようです。

サン・クロレアは同じタイミングで「横浜ビー・コルセアーズ」に所属するキング開選手とも、コンディション契約を結んでおります。

このことから、アスリートのサポートに力を入れていることが分かりますね。

町田瑠唯の収入源③:大会での報奨金

町田瑠唯選手は、東京五輪の女子バスケットボール日本代表「AKATSUKI JAPAN」メンバーとして出場。

日本バスケットボール界初の快挙として、「銀メダルの獲得」に貢献しました。

その功績を称えられ、日本オリンピック委員会・日本バスケットボール協会から報奨金が授与されています。

内訳は、以下の通りです↓

東京五輪銀メダル獲得の報奨金

・日本オリンピック委員会:銀メダル報奨金 200万円
・日本バスケットボール協会:銀メダル報奨金300万円+特別報奨金200万円

日本バスケットボール協会からは、

日本女子バスケットボール選手の輝かしい活躍・歴史的快挙は「金メダル級」に相当する

という理由から、特別報酬金の200万円が追加され、金メダルの報酬金と同額の500万円として授与されました。

今回のパリ五輪でも、東京五輪同様に表彰台にあがる成績を収めることができれば、大会報奨金がプラスされることになるでしょう。

町田瑠唯の収入源④:メディア出演料

町田瑠唯選手はその活躍ぶりから、度々スポーツ番組やバラエティ番組などに出演する機会が増えてきました。

もちろん、メディアに出演すれば、そこには「出演料」としてギャラが発生します。

テレビ番組のギャラは、10~300万円前後と幅広く設定されているようです。

町田瑠唯選手の場合は、オリンピックに出場経験のあるトップアスリートです。

このことから、100万円前後の出演料を貰っているのではないか、と想像します。

町田瑠唯の収入源⑤:自身の会社経営による収益

町田瑠唯選手は、

2023年にご自身の会社として「株式会社Rui」を設立

しており、現在も経営を続けています。

この会社の事業内容は、以下の通りです↓

事業内容

・アスリートならびにタレントのマネジメント
・ファッションブランド・アパレル製品、美容品の製造・販売
・子どもたちへのスポーツ育成事業
・スポーツに関するコンサルティング事業

アスリート・タレントの育成からファッションブランド、スポーツ事業の展開など様々な分野で事業を手掛けているようですね。

まだ設立して1年程度の会社ですので、収益としてはそこまで大きくはないと思います。

ですが、町田瑠唯選手が手掛けているアパレルブランド「MACCI」は、販売したアイテムが即完売!してしまうほどの人気ぶりなのだそうです。

そのため、ある程度の町田瑠唯選手の収入源になっているのではないかと想像します。

これらの収入源を合算すると、年収1千万円は軽く超えることになるかもしれませんね。

町田瑠唯のwikiプロフィール&経歴

最後に町田瑠唯選手のプロフィールをチェックしていきたいと思います!

町田瑠唯のwikiプロフィール

・名前:町田 瑠唯 (まちだ るい)
・生年月日:1993年3月8日
・年齢:31歳 ( 2024年7月時点)
・出身地:北海道旭川出身
・血液型:A型
・身長: 162cm
・最終学歴:札幌山の手高等学校
・所属:2011-富士通レッドウェーブ→2022-ワシントン・ミステック

小柄な身長でありながらも、バスケットボール日本代表では欠かせないメンバーの一人となっている町田瑠唯選手。

そんな町田瑠唯選手とバスケットボールとの出会いは小学2年生の頃からだと言います。

ここからは、町田瑠唯選手の経歴を見ていきたいと思います。

町田瑠唯の経歴①:バスケットとは小2で出会う

町田瑠唯選手がバスケットボールを始めたのは、

小学2年生の時

だったそうです。

きっかけは、

当時ミニバスケットボールの指導をしていたクラスの担任だった畠山順先生に誘われたこと

だったといいます。

幼なじみで「元富士通レッドウェーブ」でチームメイトだった高田汐織さんと一緒に、ミニバスのクラブチームに入団した事がバスケ人生の始まりでした。

それまでの町田選手はお兄ちゃん子だったこともあり、兄がやっていた野球に夢中だったといいます。

ですが、当時の町田選手は低学年だったこともあり、兄の所属する野球チームに入れずにいました。

そこに、バスケットの誘いが来たのだそう。

そこで興味がバスケットへ向いた町田選手は両親に、

「バスケット、やってみようかな・・・」

と告げました。

町田選手の父・茂典さんは、ミニバスケットボールのコーチでした。

そのことから、町田選手のバスケットボールへの興味がでた瞬間を逃しませんでした。

茂典さんは町田選手の連れて近くのスポーツショップへ駆け込み、バスケットボールを行うために必要な道具を一式揃えたと言います。

そして、まずは「形から」バスケットボールに入ることとなりました。

町田瑠唯の経歴②:父からバスケのいろはを教わる

町田選手が小学4年生になった年、

父・茂典さんが町田選手の所属していたミニバスのクラブチームにアシスタントコーチとして就任。

父・茂典さんからも、直接指導をしてもらうことになりました。

そこからは生活が今までとはがらりと変わり、まさに「バスケット一色」となったと言います。

この頃の茂典さんは「お父さん」というより「バスケのコーチ」としてのイメージの方が強く、怖いイメージが染み付いていたようです。

小学生のときは“お父さん”というより“コーチ”のイメージが強かったです。
家に帰ってもバスケットの話だし、体育館から帰るときも一緒で。
その日の練習がダメだったら、コンビニで車を停めて説教が始まる。
正直、あの頃は嫌でした。家に帰っても緊張感があって、怖いイメージが付いていましたね。

引用元:sports navi

それでもバスケットや父親を嫌いにならなかったのは、今の町田選手のプレースタイルの原点となる、レベルの高い技術を教え込んでくれたからだそう。

当時の女子学生の選手があまり教わることのない

・レッグスルー
・ビハインド・ザ・バック・ドリブル
・ノールックパス

などレベルの高い技をいくつも教えてくれたからだと言います。

同年代の女子が知らない、できないスキルを教えてくれる父・茂典さんとの練習は、怖いながらも楽しかったと語っています。

町田瑠唯の経歴②:中学時代では早々とレギュラーに抜擢

小学校を卒業した町田瑠唯選手は、旭川市立緑が丘中学校に進学。

同じく高田汐里さん、西側萌さんというミニバス時代からの親友も、同じく旭川市立緑が丘中学校に進学しました。

部活はもちろん、バスケ部に所属。

そこでは、驚くことに高田さんや西側さんと一緒に1年生の時から、しかも入学して間もない時期に開催された春季大会から既にユニフォームをもらっていました。

この経歴だけ見ると素晴らしく感じますが、

町田瑠唯選手の父親がミニバスのコーチをしているからだ

と陰口を叩かれることもあったようです。

ですが、町田選手のそんな声に負けることなく、コツコツと真面目にバスケットボール選手としての実力を着けていきます。

ときには町田選手の家でメンバーを集めてミーティングや反省会を行い、作戦を立ててはノートにびっちりとまとめていたのだといいます。

その結果、町田選手が3年生の時には山形県で開催された「全国中学校バスケットボール大会」への出場を見事叶えることができました。

町田瑠唯の経歴③:高校時代は主将を務める

町田瑠唯選手は、バスケットの名門である「札幌山の手高校」へ進学しました。

身長の低い町田選手は父・茂典さんからは、

小さいから、試合には出られないかもしれない。だったら旭川の高校に進んだほうがいいのではないか」

と当時は反対されていました。

ですが、身長を理由にバスケットボールを辞めたくないと思っていた町田選手は、

私としては全国に出て、そこで優勝できる高校に行きたかったし、今の自分の実力を試したい。
ボコボコにやられてもいいから、経験したい。」
「札幌山の手高校は北海道民の一人としてあこがれのチームだったし、上島(正光コーチ)さんが指導するバスケットは見ていて楽しかったので、上島さんに教わりたいと」

と思いの丈を伝えて、札幌山の手高校への進学を決めました。

この頃の身長は160cmにも満たなかったようですが、中学3年生の時には実力派道内でトップクラス。

見事レギュラーと主将の座を勝ち取り、2010年に主将としてチームをインターハイ・国体・ウィンターカップの三冠に導いた立役者となりました。

町田瑠唯の経歴④:富士通レッドウェーブに加入

高校卒業後は、「富士通レッドウェーブ」に加入

ルーキーシーズンとなった2011-12シーズンでは、なんと27試合に出場し、多くのアシストを決めることでチームに貢献していました。

その結果、

「Wリーグルーキー・オブ・ザ・イヤー」を受賞

したのです。

また、2014-15シーズンは、アシスト数でリーグ1位の成績を残し、リーグベスト5に初選出

これは、「富士通レッドウェーブ」にとっても7シーズンぶりのファイナル進出であり、町田瑠唯選手が立役者の一人とされています。

2021-22シーズン終了までにベスト5を4回受賞、アシスト1位を5回も達成しています。

町田瑠唯の経歴⑤:「ワシントン・ミスティック」への海外移籍

富士通レッドウェーブでの積み上げた功績が認められて、2022年にはバスケットボール本場・アメリカのプロチームである、

「ワシントン・ミステック」と契約

活躍の舞台を海外に移すことになりました。

今では、小柄ながらにアメリカでも匹敵するほどのプロバスケットボール選手に成長しています。

まとめ

今回の記事は、

・町田瑠唯の年収は?
・町田瑠唯の5つの収入源は?

についてまとめました。

・町田瑠唯の年収は約1,000万円以上ある可能性が高い
・町田瑠唯の5つの収入源は所属チームからの給与、スポンサー契約料、大会報奨金、メディア出演料、自身の会社による収益の可能性が高い

ということが分かりました。

それでは最後までお読みいただきありがとうございました。

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