現在、自民党総裁選に出馬して全国を飛び回っている高市早苗さん。
有権者から大変人気があります。
そんな高市早苗さんは頭が良いと噂になっています。
高市さんの学歴は、一体どうなっているのでしょうか?
そこで今回の記事は、
こちらの内容で、まとめていきます。
高市早苗は頭が良いと噂!
ネット上では、このように囁かれていました↓
このように、同じような意見が、多数見受けられました。
また、高市早苗さんをインターネット検索すると、
「高市早苗 頭良い」
というキーワードが出てきます。
高市早苗さんのスピーチなどを聞き、「頭いい」などと気になる方が多いようですね。
高市早苗さんの頭が良いという噂は本当なのでしょうか?
学歴を見ながらチェックしていきましょう!
【偏差値62】高市早苗の小学から大学までの出身校を調査!
小学校:橿原市畝傍南小学校(あやめ池小学校から転入)
中学校:橿原市立畝傍中学校
高校:畝傍(うねび)高校
大学:神戸大学
それでは、学歴について一つずつ詳しく見ていきましょう。
高市早苗の学歴①:小学校
高市早苗さんの出身小学校は、
橿原市畝傍南(うねびみなみ)小学校
でした。
奈良県出身の高市早苗さんは、
父親:トヨタ系列の自動車会社勤務
母親:奈良県警察勤務
という共働き家庭に育ちました。
意外にも子供の頃は内向的な性格だったという高市早苗さん。
奈良カトリック幼稚園から、奈良市内の公立校の「あやめ池小学校」に進学したそうです。
ですが、小学3年生の時に「橿原市立畝傍南小学校」に転校しています。
転校したことで少しだけ活発な子供になりました。
家族構成は両親と6歳年下の弟の4人家族です。
共働きの両親に変わって子供の頃から6歳年下の弟には母親のように接していたそうです。
高市さんは当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「小学校3年生で転校したことを契機に、少しだけ活発に振舞えるようになりました。両親が共働きだったため、6歳下の弟の面倒をみるのに追われていましたが、おかげで今でも乳幼児の扱いは上手です。」
引用:著書「私のカクゴ」
高市早苗さんは今も夫の連れ子を実の子供のようにかわいがっておられることから子供が大好きなのでしょうね。
高市早苗の学歴②:中学校
高市早苗さんの出身中学校は、奈良県橿原市内の公立校の
橿原市立畝傍(うねび)中学校
です。
高市さんは「高校進学のために中学時代を過ごし」と述べているので、中学時代はかなり勉強していたようです。
また
「目指すべき目標が決まった時には、第一志望に賭けること」
ともインタビューで述べています。
このことから、高校も大学も第一志望に合格したと考えられます。
高市早苗の学歴③:高校
高市早苗さんの高校は県立の共学校の
畝傍(うねび)高校
です。
畝傍(うねび)高校は、奈良県トップクラスの進学校です。
サイト「みんなの高校情報」掲載の2024年度版では、
偏差値は68(奈良県内6位(公立2位))
となっています。
高市さんは一般受験で合格しており、当時から高い学力を有していました。
しかし、高校1年生の時に大学生の彼氏ができて、学校の成績が急落してしまったそうです。
「いつも彼と二人きりでいたくて、授業をさぼり、宿題を怠けて、成績はガタ落ち。職員室で先生に「勉強しろ」と顔をビンタされた」
引用:ko-ima.com
高校時代には禁止だったバイクで通学をしていたことや、時々授業をさぼって屋上で空を眺めていたことを自伝で語っています。
高市さんはバイクには16歳の時から乗っていましたが、衆議院議員2期目の37歳頃に『万が一の怪我で国会を休んでは、有権者の皆さまに申し訳ない』と考え、公道でバイクに乗ることを辞めています。
それでも、
高校3年生の受験シーズンは勉強を頑張り、第一志望の大学に合格
しました。
高市早苗の学歴④:大学
高市早苗さんは
神戸大学 経営学部経営学科
に進学しています。
高市早苗さんは神戸大学経営学部経営学科(経営数学専攻)に進学し、同校を卒業しました。
神戸大学は、
偏差値:62.5
の難関校です。
高市早苗さんの大学生活についてまとめるとこのようになります↓
・1年間浪人または留年をしている
・大学では経営数学を学んだ
・早慶にも合格していた
・学費の関係で神戸大学に進んだ
・ヘヴィメタバンドのドラムを担当
・バイクに乗っていた
・大学4年が人生のターニングポイント
それでは、大学生活について詳しく見てみましょう。
神戸大学に進学した経緯
高市早苗さんは第1希望だった「早稲田」と「慶応」のどちらも合格しました。
しかし両親から、「女の子のあなたを東京の私学で学ばせる余裕はない。弟の学費に回してほしい」と言われ神戸大学に入学しました。
往復6時間の通学でしたが「女の子だから一人暮らしはさせられない」と言われたそうです。
これはAERAdot.2021年9月9日配信記事で本人が明かしていました。
そして1年間浪人または留年をしているようです。
首相官邸HP掲載の第2次安倍改造内閣 閣僚等名簿に「昭和59年 3月 神戸大学経営学部経営学科卒業」と掲載されていました。
このことから、どこかで1年浪人や留年をしていることになります。
1年浪人や留年したとしても神戸大学に入学できるなんて秀才ですね。
軽音楽部ROCKに所属
高市早苗さんの大学時代は軽音楽部に所属しており、ヘビーメタルバンドを組んでドラマーを担当していました。
高市さんは当時の音楽活動についてインタビューで次のように話しています↓
「私は、個人的に、大学時代に軽音楽部ROCKというものに所属しておりまして、ヘヴィメタバンドのドラムをやっておりました。ただ私は中途半端な実力でしたので、音楽が何よりも好きだったのですが、プロにはなれず、途中から路線変更しました。ほぼ同じような時期に大学のサークルから華々しくデビューされて、大変うらやましく聴いていました。」
記事引用:著書「30歳のバースディ―その朝、おんなの何かが変わる」(大和出版)
高市早苗さんのドラムはとても激しく、いつもスティックを3本は折っていたそうです。
好きなアーティストは「聖飢魔Ⅱのデーモン閣下」や「X JAPAN」だと当時から明かしていました。
高校生のころからバイク(Z400GP)に乗っていたことから通学はバイクだったかもしれません。
往復6時間も毎日バイクで通うのは無理かもしれませんが高市早苗さんならできそうな気がします。
バイクでツーリング
大学生の頃にはよくバイクでツーリングにも行っており、インタビューで次のように話しています。
「学生時代は、裏六甲や阪奈道路の大阪側など、カーブが多い道を攻めるのが好きでした。バイト代が貯まるとツーリングに出かけ、全国の海岸沿いの道はほとんど走りました。20代前半は『バリバリ伝説』という漫画にハマっていました。バイクの魅力は、特に夏に、風とアスファルトの熱を感じながら走る心地よさ。」
引用:smart-flash.jp
またホステスのアルバイトなども経験しています。
大学4年がターニングポイントだった
高市さんは自身の人生のターニングポイントは大学時代だったとインタビューで語っていました。
「大学4年の夏、初めてお目にかかった松下幸之助氏の眼光の鋭さに圧倒されました。すでに内定していた就職先を断り、松下政経塾に進むことについて、『夢があって、いいじゃない』と応援してくれた両親に感謝しています。」
引用:私のカクゴ
頭の良い高市早苗さんは大学4年生にして政治家を目指そうと決めたようです。
高市早苗は英語力も高かった!
高市早苗さんの英語力が高い理由は、以下のようになっています↓
①アメリカで2年生活していた
②流ちょうな英語を話す動画がある
③通訳なしで海外メディアのインタビューを受けている
では、一つずつご紹介いたします。
①アメリカで2年生活していた
高市早苗さんは、26歳の頃に渡米して民主党下院議員のパトリシア・シュローダー氏の議員立法調査官を務めたとされています。
2年間アメリカ生活をしているので、日常会話程度の英語は話すことができると考えられます。
学歴詐称と批判されていた
高市早苗さんはジャーナリストの鳥越俊太郎さんに「学歴詐称(経歴詐称)」と批判されています。
鳥越さんによれば、議員立法調査官とは
「見習い待遇で無給で未契約のフェロー。コピー取り程度、お茶くみ程度の役しかやっていない」
とのこと。
「彼女は見習い待遇で、無給で、未契約のフェロー、つまりコピー取り程度、お茶くみ程度のことしかやっていない」「だから、経歴詐称だよね、僕に言わせれば。経歴詐称」
記事引用:Yahoo!ニュース
この点については高市さんも無給で働いていたことを認めています。
しかし、松下政経塾のアメリカの研究所から給与の支給を受けていたと語っていました。
ところが日刊ゲンダイには「立法調査官」だった経歴が見当たらないと批判されています。
鳥越さんは「もしこれで私が名誉毀損で訴えられるなら、受けて立ちます」とも話している。実際、高市大臣がアメリカの議会に採用されたという記録は見つからないようだ。それどころか「議会立法調査官」という名称さえ見当たらない
記事引用:日刊ゲンダイ
これに対しては高市さんの事務所は次のように反論しています。
「高市がコングレッショナルフェロー(議会研究員)をしていたのは事実です。確かに議会から報酬は出ていませんが、松下政経塾のアメリカの研究所が高市のスポンサーとなり、議員事務所で働いていたのです。コングレッショナルフェローには、選ばれた人しかなれません。ただし、“議会立法調査官”は造語です。現在は、誤解を招くので、その名称は使っていません」
引用:高市早苗公式ホームページ
「立法調査官」ではなくコングレッショナルフェロー(議会研究員)として勤務していたようですね。
②流ちょうな英語を話す動画がある
ひととおりの挨拶がすむとコソコソと内緒話のようなことを英語でしていたことからビジネスのやや突っ込んだ話も英語でできるようです。
③通訳なしで海外メディアのインタビューを受けている
こちらの画像は高市早苗さんが2003年経済産業副大臣当時、海外メディアの取材を受けている写真です。
英語でのインタビューに笑顔で余裕をもって話しておられました。
まとめ
今回の記事は、
・高市早苗は頭が良いという噂について
・小学校から大学までの出身校を紹介
・高市早苗の英語力の高さについて
こちらの内容でまとめました。
早稲田と慶応、神戸大学に受かってたなんてすごい秀才だったんですね。
そして、大学卒業後アメリカでコングレッショナルフェロー(議会研究員)として2年間働き英語が流ちょうに話せるようになったとのこと。
高市早苗さんはこれまで相当な努力をされて今があることがわかりました。
今後も高市早苗さんのさらなる活躍に期待します。
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